SHIZUOKA 春の芸術祭参加作品。
〈ギリシア悲劇における犯罪〉がテーマとなる芸術祭で、アイスキュロス作『慈みの女神たち』を上演。
ミズノオト・シアターカンパニーは『慈みの女神たち』を、
母殺しに免罪を与えられるべきか?与えざるべきか? という議論として描き、現代における性の役割を際立たせるような演出を施した。








作 アイスキュロス
演出 平松れい子
日時 2005年6月4日 昼夜2回公演
場所 静岡県舞台芸術公園・楕円堂にて
〈SHIZUOKA 春の芸術祭とは?〉1999年に静岡で開かれた〈第二回シアター・オリンピックス〉を引き継いで行われている世界の芸術祭で、これまでロバートウィルソン、ヴァレリーフォーキン、鈴木忠志といった世界水準の作品を上演。本公演はSHIZUOKA 春の芸術祭参加作品で、2005年は〈ギリシア悲劇における犯罪〉がテーマとなる芸術祭だった。
【ストーリー】
母クリュタイメストラを殺したオレステス。闇に彼を囲む復讐の女神たち。アポロンはオレステスにアテナイで審判を受けよと命じ、母の死霊は復讐の女神たちにオレステス追跡を促す。
アテナは公正な裁きをとアレスの丘に法廷の場を設け、市民から陪審員を選び出し、投票が同数ならばオレステスを赦免することに一同を同意させる。
そのとおりにオレステスは免罪となる。アテナは不満を口々に罵りたてる復讐の女神たちに、アテナイの紀綱を護り国土を安穏に保つ慈みの女神たちの名を与え、永く祭り崇めようと約束し、和解するという話。
【キャスト】
オレステス 辰巳蒼生
クリュタイメストラ・復讐の女神 白井さち子
アテナ 熊谷知彦
アポロン 岸建太朗
復讐の女神 長谷川紀子
テュンダレオス・復讐の女神 進藤則夫
【スタッフ】
美術 あべきようじ・青木祐輔
衣装 久保薗美鈴
照明 佐々木真喜子
音響 杉澤守男
【劇評】
母クリュタイメストラを殺したオレステスが、免罪の判決を得るまでを描いた物語だが、これを平松演出は裁判劇に仕立て上げた。舞台にはシンプルな大きな台が置かれ、これが時にDJブースとなり、時に裁判長の臨む壇になり、色々と姿を変える。興味深いのは、この芝居では、母殺しの犯人オレステス(辰巳蒼生)にアテナイへ向かうよう指示するアポロン(岸健太朗)や、裁判を主催するアテナ(熊谷知彦)といった神々が、国家のイデオロギー装置に過ぎないことが暴露されている点である。とりわけ、アテナは中世的な神として造型されており、オレステスと彼を告発する復讐の女神たちとを、単に調停するという消極的な役割しか負っていないことが、その中性的な正確に露骨に刻印されているという次第である。
後半のクライマックスであるオレステス裁判は、実際の観客を陪審員に見立てて進行する。ギリシア悲劇とはまずは政治劇であり、ギリシア悲劇にとっての劇場とは、法廷や議会のアナロジーとして機能したに違いない。そのことに気がついているかどうかが、今回の演劇祭でエキサイティングな演出をおこない得たかどうかの分かれ目となったのではないか。その点、平松演出は徹底してオレステス裁判の政治的側面を明るみに出そうとしており、スリリングであった。復讐の女神たちの堂々たる弁論にも関わらず十二人の陪審員の投票は有罪・無罪同数となり、裁判長であるアテナの決定により、オレステスは赦免となる。途端に、復讐の女神たちは憤怒にふるえ叫び声をあげるが、ただちにアテナからフェミニンなドレスを寄贈され、宥められ、懐柔されてしまう。かくして、「いかに正当性があるとしても母親殺しの大罪は倫理的に赦されるのか?」という道徳上のアポリアはいつしか不問に付され、アテナイ社会に走ったイデオロギー上の分断線は、この政治決着以外の何物でもない判決を受けて、ただちに封印されてしまう。だが終幕、オレステスが母を殺した象徴として中盤に登場した食事の場面を逆転させ、今度は、母がオレステスを殺害する場面が登場する。男性中心の支配に抗して、女性がこれを転覆させる未来が示唆される。
この終幕の処理では、男性支配が女性支配へと置き換わっただけという風に見えてしまって、人が人を支配する社会の構造に変化はないということになってしまう。それよりも、そうした構造自体に亀裂が入るという展開になった方が、よりスリリングな結末となっただろう。そうした不徹底さは気になったものの、ギリシア悲劇そのもののイデオロギー的機能すら暴露するかのような批判精神がここには潜在しており、この演出家は、さらなる大器へと成長することを予感させる。
大岡淳 雑誌演劇人2005年20号掲載 ギリシア悲劇特集を観て